スタッフ紹介
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永田 宏和
プラス・アーツ理事長
1968年12月20日、兵庫県西宮市で3人兄弟の末っ子として生まれる。上二人は姉で、おそらく甘やかされて(?)すくすくと育つ。幼少期は、夙川や香櫨園浜、甲山などの自然がもっぱら遊び場で、日が暮れるまで自転車で遊び回る日々を送る。ちなみにカブスカウト(ボーイスカウトの弟分)に入り、野外体験の楽しさもこの時期に学ぶ。また、自宅の前の狭小の路地や近くの廃墟のような駐車場、家の基礎だけが残る空き地などが日常的な遊びのフィールドで、様々な遊びを友達と開発しながら充実した日々を送る。思い返してみると。この時の体験が、現在の事業やイベントの企画をする際の2つのソウゾウリョク(想像力と創造力)の源になっているように思われる。大学で建築を学び、大学院ではまちづくりを専攻、地域活動支援の礎を築く。大学院修了後は大手建設会社の竹中工務店に就職。在職した8年間で企業での仕事のいろはを学ぶ。退社後、企画プロデュース会社「iop都市文化創造研究所」を設立。2005年の阪神・淡路大震災10周年記念事業で、楽しく学ぶ新しいカタチの防災訓練「イザ!カエルキャラバン!」を開発したことをきっかけにNPO法人プラス・アーツを設立。現在、自治体、地域団体、企業関連の様々な防災プロジェクトの企画プロデュースに従事する一方、自治体や企業、大学からの依頼を受け講演会や研修の講師を数多く務める。2012年からデザイン・クリエイティブセンター神戸の副センター長、2021年からセンター長として幅広い分野の社会課題解決に取り組んでいる。
中村多賀子
総務経理
家族で山へ山菜を採りに行ったり、家族でジョギングするような幼少期を過ごしました。
母の職業は経理事務員だったせいか、大学は経営実務学科を卒業、経理事務員となり、数字がどのように動くのか観察するのが好きな自分に気が付きました。そして、裏方として職場を支える喜びと言うのも知りました。
阪神淡路大震災をきっかけにマラソン仲間と出会い、市民ランナーとしてトラックで練習するチームに入り、フルマラソンのタイムを競い、目標の大阪国際女子マラソンに出場しました。その仲間に六甲山を走るトレイルランニングに連れていって貰い、道を覚えて、今では六甲山に走りに行くのが週末の日課となっています。
アロマテラピーも好きで、セラピストやインストラクターの資格も取得し、生活にアロマを取り入れており、色々な意味で私の生活は植物や森が豊かにしてくれていると言えると思います。ところが近年、雨が大量に降る事であちこち山が崩れており、とても危ない箇所が増えています。山や森が元気になることを祈りつつ、防災はとても大事だ感じるようになりました。経理事務員として防災の仕事に関わる事が出来てうれしく思っています。
裏方として貢献して行きたいと思います。
光田 和悦
スタッフ
1996年10月10日、大分県生まれ。幼いころから「なんで?」と考えることが多い子どもだった。理由が分からないままコトを受け入れることができないその性格は、幼少期はアイデアマン、大学時代には退学を決断しグラフィックデザインを学ぶために上京する人生を歩ませることになる。ただ、日本に住む上で不可欠な防災に関しては、スタッフの中で最も無関心だったと思う。
2011年3月11日、東日本大震災が起こった当時中学生だったわたしは、遠く離れた大分県にいたこともあり、その地震をまるで他人事のように思ったことを記憶している。そんなわたしの人生の転機は2019年10月、自宅の近くを通過した台風19号。当時のわたしは、防災グッズの備蓄や窓の目張り、避難所を調べる、といった一切の準備をしていなかったが、幸い自宅への被害はなかった。翌日、嵐の過ぎ去った静かな朝、「もしも自分が被災していたら」と感じた瞬間、「防災の価値」が痛烈に自分事になった感覚を覚えている。
当時就活中だったわたしは理事長・永田に猛アプローチし、プラス・アーツ神戸事務所に在籍することになる。現在は、イザ!カエルキャラバン!の支援や、教材開発など業務は多岐にわたるが、毎日欠かさず「なんで私は防災をするのだろう?」と自分に問うことを忘れず、「防災の日常化の価値」をよりよく伝え続けていく。
瀧原 茉友
スタッフ
阪神淡路大震災がきっかけとなり交際を始めたという両親のもとに誕生。
中学生の頃から英語が好きで、高校は国際系の学科に進学。学科名であった”国際人間”という響きがとても気に入っており、心の片隅で自分も将来は”国際(的に活躍できる)人間”になれたらいいなと思っている。
高校生の頃に始めたボランティアがきっかけで教育に興味を持つとともに、初めて訪れた東北で災害について深く考え防災教育の必要性を強く感じ、教員を志すようになる。
大学では被災地支援サークルでの活動や留学生との国際交流にも力を入れながら勉学に励み、防災士と小学校・中学校・高校(英語)の教員免許を取得した。そのまま教職を目指すか悩みに悩んだ末、教員を志した理由が「防災教育を広めたい」だったことを思い出し、直感に従って2022年プラス・アーツに入社。
松原 みなみ
スタッフ
身近な方々に便乗して行動していたら、気づいたら地域のイベントを始めとするまちづくり活動に関わっていた子供時代(きっとまちづくり活動が面白いと感じていたのだろう)。自分が楽しむことが周りの幸せにもつながるまちづくりって素晴らしい!と自分の意志を持って活動をするようになった学生時代。様々な活動をしていく中で、興味の対象は”まちづくり”→まちづくりの中でも特に”防災”→防災の中でも特に”防災教育”や”防災活動のシステム作り”と変化していく。そんな時に理事長の永田と出会い、理念や仕事内容に強く興味を惹かれプラス・アーツへ入社。
プラス・アーツの仕事を通して、自分が楽しみつつ関わる全ての方の役に立てるよう行動していきたい。
小倉 丈佳
東京事務所長
4人兄弟(全員男!)の長男として生まれる。弟たちに絶対に勝ち続けなければならない存在として、小さなころから勝負を確実にものにする駆け引きの巧みさと、ピンチになっても隙を見せず動じない強い気持ちを磨く。「自分は内向的で人前に立つようなタイプではない」と自称しているが、大学時代にはアルバイトで子ども向けショーに出演し、歌のお兄さんとして活躍の場を広げるなど、意外にエンターテイナーな一面も持ち合わせている。地元愛媛の大学で教育学を学び大学院まで進むが、大学院時代にダブルスクールをして学んだデザインの道へ流されるままに足を踏み入れ、WEB 制作を中心とするデザイン事務所に入社。その後、ステップアップのため、大阪のデザインスクールへ入学しデザインについて学び直していたところで理事長の永田と出会い、プラス・アーツに入社した。当初は、「教育」、「デザイン」、「人の役に立ちたい」という自分がやりたかったことすべてを実現できる “楽しさ” から業務をこなしていたが、東日本大震災後、東北の方々に会い話を聞いたことで、その気持ちが防災を伝える “使命感” に変わり、勤務期間は 10 年を超えた。
服酉 信吾
チーフスタッフ
3,000gを超える巨漢児として生まれる。ボンレスハムのような体形を心配した母親が強制的に水泳教室に入れる。見事ライザップした後は高校までサッカーを続け、マネージャーと付き合ったり別れたりそれなりの青春を過ごす。やりたいことが分からないまま進んだ大学の図書館で読んだ雑誌からNPOという存在と、その新しい働き方に興味を覚え、その道にすすむことを決める。卒業後は団体職員、NPO職員、民間企業と渡り歩き、2016年8月にプラス・アーツへ入社。入社2か月後に結婚。1年で1番の繁忙期に人生で1番幸せな瞬間を迎える。現在は主に商業施設での防災イベント等に携わる。かわいすぎるお嫁さんの美味しすぎる料理によってボンレスハム体形への先祖返りがはじまっている。
【主な担当プロジェクト】
・MUJI「いつものもしも」
https://plus-arts.net/project/muji/
・堺市消防局「堺市総合防災センター」
http://plusarts.net/project/sakaimuseum/
・埼玉県「イツモ防災」
https://plus-arts.net/project/saitama/
・三井不動産「豊洲防災EXPO」
https://plus-arts.net/bo-sai/
・三井不動産「&EARTH~災害に負けない知識を学ぼう!~」
https://and-earth.mitsuifudosan.co.jp/kaerucaravan/
長 夕紀菜
スタッフ
プラス・アーツでは珍しい?東京生まれ、東京育ち。何事にも全力投球で駆け抜けてきた子ども時代。高校2年生の夏休みに行った、ニュージーランド語学研修をきっかけに海外やカメラに興味を持ち、大学は国際関係の大学へ進学。大学1年生の春休みに行ったタイ国際ワークキャンプでタイにハマり、タイ語語学留学やカレン民族の村でフィールドスタディを経験。NGO等で活躍する教授をみて人のため・社会のためになる仕事に就きたいと思い、大学院卒業後は佐賀県の地域おこし協力隊として活動。カメラが好きで自分の好きな風景やヒト・モノを撮るフォトグラファーな一面も。写真と防災を上手く結びつけ、様々なことにチャレンジしていきたい。